この地で4年間経験したことを殺したくない。

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どうもユウイチ(@yuichiho)です!

昨日、NPO育て上げネットの工藤さんと立命館大学教授の久保田さんのお話を聞いて来たのですが、久保田先生の言葉で印象に残ったことを共有します。

「この地で4年間経験したことを殺したくない」とは?

私が講演をしている理由とも繋がります。

短い文章ですがどうぞ!

久保田先生の紹介

現在、立命館大学大学院公務研究科で教授を務めている久保田先生。

何冊も書籍を出版されています。

こちらは主な著書。 

久保田先生のキャリア変遷はとても興味深い。

京都大学卒業後、内閣府に勤務。

政策統括官、ケンブリッジMBA取得。

在任中に、ニート・ひきこもり対策である「子ども・若者育成支援推進法」を立案など眩しいほどの街道を歩んでいた。

そんな折、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。

陸前高田市の市長である戸羽さんに声をかけられ、内閣府から陸前高田市の副市長に同年8月から就任。 

4年間、陸前高田市の復興業務に従事され、青山社中リーダーシップ・公共政策学校 副校長を経て、立命館大学大学院の教授になる。

経験を紡ぐ

内閣府というゴリゴリのキャリアから陸前高田市の副市長へのキャリアチェンジ。

この決断には相当な勇気が必要だったと思う。

 

「僕のキャリアなんて行き当たりばったりですよ」

 

笑顔でそういう久保田先生。

別に陸前高田市に縁もゆかりもあったわけではない。

なんとかしたいという思いで、まずはボランティアとして飛び込んだ震災地。

その後副市長として、震災後かつ今まで経験したことのない仕事を4年間全力で走り切る。

防災の経験も自治体の経験も無いのに飛び込む行動力は相当に勇気が必要だったと思う。

  

その後、大学院の教授となるのだが、私はこんな質問をした。

 

「内閣府からの陸前高田市の副市長というキャリアチェンジにも驚いたのですが、なぜその後、大学院教授という道を選んだんでしょうか?」

 

国で働き、未曾有の大災害を経験した人なんてものすごく希少価値が高いキャリアだ。

また内閣府に戻ることもできたはず。

 

久保田先生はこう答えた。

 

「陸前高田市という地で4年間経験したことを殺したくなかったんですよ。」

 

内閣府に戻ったところで、その経験を活かせる防災関連の仕事につけるかどうかはわからない。

だったら自分が4年間向き合って来たことにちゃんと向き合える仕事を選ぼう。

 

そんな話だった。

 

お金や名誉じゃない。

 

胸が熱くなった。

見た責任がある

私は、小中高、大学、社会人に向けて、世界一周の講演を行なっている。

海外で活躍する日本人をインタビューしながら世界を回ることで、様々な生き方に出会って来た。

メーカーの社員を辞めた自分が、自分のキャリアを再考するためにたくさんの人たちに会って来たのだが、旅の途中から「インタビュー内容だけでなく、旅をして得た経験は日本に帰ったらちゃんと自分の口から伝えよう」と心に決めていた。

世界一周以外にも仕事で中国駐在をして、カナダの大学に留学もしたし、最近までカナダで暮らしていた、そんな経験値を持っている。

 

そんな誰でもできるわけではない経験を一人でも多くの人に伝えたい。

 

海外では、楽しい話もたくさんあったが、シリアスな問題に直面したことも多々あった。残虐すぎる光景に何度も面食らった。

 

自分には、世界を見た責任がある。

だからこれからも伝えたい。

 

久保田先生の言葉を借りるなら、

自分が得た海外経験を殺したくない、だからこれからも伝え続けようと思う。

 

伝えたい想いや経験があるならそれを殺さず生きましょう。

 

ほなまた!

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