SNSばかり見て思考力を失った「人間ロボット」になんてなりたくない

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どうもユウイチ(@yuichiho | Twitter)です。

 

最近思ったのが、「人間の機械化」が進んでいるということ。

 

情報過多社会。

情報処理をたくさんして、対応速度を上げることに時間をかける昨今。

人間の考える力はどんどん弱くなっている。

考えるとなるとまずはネットで調べる。

発想とか思考することが人間を人間たらしめるのに、人間が機械に寄っていっている気がしてならない。

ただ情報を集めて、確からしい情報を集めて、自分の意見のように語る。

これは、ただの情報処理でしかない。

そんな情報処理は、AIができる。

むしろAIの方が100倍正確。

 

考える力を失った人間はどうなるのだろう。

 

人間の機械化。

 

無味乾燥な、誰とでも同じことを言う人間ロボットにはなりたくない。

 

そうならないためにはどうしたらいいのか。

 

まずは、SNSとの付き合い方を再考すべきではないかと思う。

 

自分とSNSとの関係について少し紹介する。

 

私は、7年勤めた会社を退職し、世界一周をして、その後カナダで生活を始めた。

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カナダという地でやりたいことがあり、飛び込んでみたのだが、自分の求めていた仕事でないとその職場で働き始めてから少し経って気づいた。

 

そんな時にSNSを見るのが辛くて、SNS断捨離をした。

SNSを価値観の押し売りとしか捉えられなかった。

世界一周中に書いていた、それなりに検索ランキング上位のブログも更新をやめた。

誰かに気に入られるように書いたり、価値観を自分が押し付けてるんじゃないかと思ったから。 

 

すると、変化はすぐに起きた。

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まず、時間。

圧倒的に時間に余裕が生まれた。

SNS断捨離前は、気づけば、Facebookやツイッターを開き、興味のあるリンクがあればクリックしたり、またそのリンク先に「こういうのがおすすめ」という記事があり、またクリックしたりの繰り返し。

「命よりも大切なものはお金じゃなくて時間」とわかってはいるけど、その時間を消費、いや、浪費していた気がする。

目的もなく、情報を取ろうという姿勢も無く、SNSを長時間見続けると、それは浪費に近い。

 

次に、思考する習慣。

SNSを断捨離して、自分の思考力が廃れていたことに気がつく。

みんながそれぞれの想いを発信するのがSNS。

他所は他所、うちはうち。

わかっているけど、確実に自分は思考する機会を失っていた。

何か話をしている時も

「これは果たして俺の意見なのか?」

「誰かが言っていた意見をパクっているだけじゃないのか」

とふと思うことがある。

物思いにふける時間を自分はどれだけ確保できていただろうか。

  

カナダの自然に囲まれて、ぼーっと公園で考え事をする時間が増えていった。

いや、増やしていった。

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内省する時間、自分と向き合う時間を作るにはカナダはちょうどよかった。

事実、作曲家、作詞家、アーティストがカナダに住んでいる。

 

この頃からノートに自分の想いを書くことが習慣になった。

 

書くことは考えること。

書くことは、頭の中にあるグチャグチャになったものを翻訳する作業。

 

日本に帰国してからもノートを書きながら思考する習慣は続いている。

 

 

 

これからの時代、人と合わせることでは無く、

個人個人の感性、感情、ふと思ったことが価値になる。


だから皆に合わせる必要はない。

 

自分であることが価値。

 

自分であるだけで価値。 

 

だから大丈夫。

 

他人になるな、自分になれ。

 

「自分らしさ」をグーグルに聞く前に、

自分にまずは聞いてあげよう。

 

 

雑多でまとまりのない文章になってしまったが、これが「自分の書き方」なので良しとする。

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ユウイチ

 

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