【仕事を辞めようか悩むあなたへ】7年勤めた大企業を退職した理由 第一章

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どうもユウイチ(@yuichiho)です!

現在、NPO・世界の働き方/世界一周講演・キャリアコーチングなどパラレルワークをしている私ですが、元々は愛知県の某メーカーにてマーケティングや事業戦略立案の仕事をしていました。

「働きやすい会社ランキング」にもランクインするホワイト企業を退職した理由と経緯を数回に分けて書き綴りたいと思います。

会社を辞めようかと悩んでいる方、転職を考えている方、就職活動中の方、仕事を変えたいけどどう一歩踏み出したらよいかわからない社会人の方にぜひ読んでいただきたいです。

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第一章 就職~入社〜中国駐在

2008年9月15日、世界中に激震が走る。

米証券最大手のリーマンブラザーズが破綻し、未曽有の金融危機が発生。

日経平均は大暴落、不況時代に突入。

『大量リストラ』『採用取り消し』の文字が連日新聞に踊る。

就職氷河期の始まり。

リーマンショックが起きた3か月後に当時大学三年生の私は就職活動をスタートさせた。

幼少期から漠然と海外で働きたいという夢を抱いていた。

大学生の時にカナダのバンクーバーへ交換留学したことも強く影響し、将来はとにかく世界を股にかけて活躍する人間になりたかった。

「海外駐在ができて、グローバルに活躍できる会社に入りたい。」

これを自分軸としてメーカーと商社を中心に選考を受けていった。

次第に仕事のアウトプットが商品として可視化されるメーカーに興味を持つようになり、第一志望の企業から内定をもらうことができて、就職活動に幕を閉じる。

 

「海外部門に配属されて、出張して、駐在して、30歳ぐらいで結婚して、それなりの給料をもらって、安定した生活を過ごす。」

 

今振り返ると、恥ずかしくなるようなざっくりとした人生像を掲げて、2010年に入社した。

 

東アジア・中国市場を統括する営業企画部門に配属。

ストレスもなく、自由奔放にしていた大学生の頃とは違い、何もできない一年生からのスタート。

右も左もわからない状況で、一年目からあるOEM (=他社ブランドの製品を製造すること) プロジェクトのリーダーを任された。

父親に近い年齢の開発者達から怒られる。

知識も経験も無さ過ぎて、なぜ怒られているのかさへもわからない。

もっとスムーズに仕事が回せると自信を持っていたのにうまくいかない自分へのいら立ち。

それでも必死にくらいついて、部門では当時異例だった「一年目の出張」を3度もさせてもらい、自分が憧れを抱いていた海外出張を実現できたことには満足していた。

*出張中の広州の夜景

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任されたプロジェクトに2年目も丸々費やし、気づけば3年目となっていた。

プロジェクトが終わりを告げた3年目の夏に中国・北京への短期駐在が決まる。

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中国語学習経験ゼロだったが、現地の語学大学で中国語を勉強しながら、中国超大手企業にデスクをもらい、がむしゃらに働く日々は刺激的だった。

*北京語言大学の授業風景。

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ちょうど反日デモが激化していた2012年に現地にいたので、自分が日本人であることを強く意識した。

連日日本の国旗が燃やされ、大使館にデモ隊が集まる。

タクシーの乗車拒否にもあった。

エレベーターで日本から電話がかかってきても日本人であることがばれると何をされるかわからないという恐怖心から電話が取れなかった。

 

中国語習得だけでなく、中国の商習慣、文化、そして日中関係についてもたくさんのことを学び取ることができた駐在期間だった。

 

任期を終え、無事帰国。

 

しかし、帰任後から苦悩の日々が始まった。

 

第二章に続く。

【仕事を辞めようか悩むあなたへ】7年勤めた大企業を退職した理由 第二章

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